2017年06月19日

夜のブラックバス釣りについてどう思います?

夜のブラックバス釣りについてどう思います?

というアンケートをtwitterとfacebook上でやってみた。
アンケートの選択肢は以下のもの

@法的にOKならよし
Aやめるべき
B分からない
Cチョメチョメの口実

の四つである。

結果を言うと
@61%A24%B7%C8%
ということだった。
結果の分析は後にまわすとして、僕の狙いを先に言っておきたい。
このアンケートは「ブラックバス釣りの夜釣りに対しての感情面での意識調査」ということが本質である。

何故アンケートを行おうと思ったかには、いきさつがある。

―――

某SNS上にて、夜釣りの釣果投稿に際して批判をする声があった。

たったそれだけではあるが、そこに僕は一定の違和感の様なものを感じたし、批判をする側にある種のマウンティングの様なものを感じた。
何故か?それはすぐに分かった。夜釣りに対してのイメージを偏った論理で硬直した議論をしていたからだ。まるで「夜釣りは悪」であるかの様に。

夜に釣りをすることは危険ではあるかも知れないが、予測できる限りの危険に配慮をし、それなりの心構えで行えば通年行っても安全に釣りを行うことができる。
そもそも、心構えが無ければそれは昼に行っても(何をするにしたって)危険な行為であるということはいわずもがなである。当然、近隣に対する配慮も同じだ。

夜釣りをすることは論理的に言えば「法や条例、規則に基づき、マナーやモラルの範疇で安全に気づかいを出来ていれば」全く何の問題もないと言えるだろう。
(ちなみに夜釣り禁止である区域は一部の漁協が絡んだ遊漁可能なポイントが多い。詳しくは水産庁のHP遊漁の部屋を参照してほしい)

本来ならある程度のごくごく基本的なことを言って終わるはずなのにそのトラブルは批判されている相手が謝るまで続いた。これは論理ではなく、「感情の問題」であるからだ。

釣りたい!も感情であるが、夜釣りはやめろ!も感情である。

―――

ここまで来てようやく僕の立場を言いたい。
僕は釣り具を売って生活している。その上で釣り具を業界の将来を心配する立場であるが、僕が今心配しているのは「釣り人の権利」である。

この日本という国は釣りは、誰がどこでも自由に釣りを行って良いという稀な国である。
海外を見ると、釣り文化の古い欧米などでは釣りにはライセンスが必要だし、その影響を色濃く受けている国が多い。
欧米の様な制度が日本に無いのは、日本が周囲が海に囲まれ、山々から豊富に水が沸き、魚が多い島国だからだということが容易に考えられるだろう。
しかしながら、戦後の近代化以降、釣り人が増え、より釣れる釣り方や情報が多くなるとどうしても自然のままでは水産資源である魚類も枯渇するので、それを遊漁のために放流などを行うなどの産業化するに至り権利を作った。それを「漁業権」とし、統括しているのが水産庁、直接認可を得るのが漁師及び、漁協である。
私たち釣り人はしばしば漁協から遊漁券という名の「漁業権」を買う。これは法的に認められた権利であるので今後も続いていくだろう。

だが池沼、漁協の絡まない河川や魚種などの釣りにおいては法的な記述はない。
つまり何をしても自由な代わりに何にも守られるものがないのだ。
そこで培われた文化も、土地の権利者がNOと言えば消えてなくなってしまう。
その上ブラックバスは特定外来種認定されている。
僕たちの遊びは、非常に脆い土台の上に成り立っていると言えるだろう。

僕たちがこれからもこの遊びを続けていくために、その土台を支えるために必要なのはマナーやモラルであることは周知のことだと思うが、ネットの登場以降、それを「論理的に解釈」する必要が出てきたように思う。

増して先のSNS上のトラブルには論理的な解釈を差し挟む余地もないぐらいに感情が支配してしまっていた。
これでは僕は釣り人の権利よりも先に、大袈裟に言えば、釣り人の方が息苦しさでいなくなってしまうのではないかと思った。それはいかがなものなのだろう?

だが、この問題の根本である「釣り人の感情」がどういったものであるか知りたくなった。
どの位の割合で夜釣りに対して嫌悪感を感じているのか?

それが、先の問いかけの選択肢になっている。

―――
このアンケートの選択肢はやや風変りに感じられたかもしれない。
その選択支の意図について聞かれた部分もあるので順に説明しよう。

@法的にOKならばよし
この選択をする人は概ね論理的に考えられるだろうと推測する。法的にとだけ書いたが、法を意識して守れる人間はマナーやモラルも守れるものだろうとも推測できる。

Aやめるべき
おそらく、何らかのトラブルに巻き込まれたことがあるか、周囲がその空気であることが推測できる。
やや感情的な選択肢ではあるが、これが今回のターゲットである。

B分からない
@にもAにも同意できない、もしくはしたくない。そういった人の選択肢。だけど、このアンケートに関心があり、考えていることもあるのだろうと推測。

Cチョメチョメの口実
一見、ふざけている様に見える選択肢だが、この選択肢の機能について説明したい。
これは実質、B分からない と同じ選択肢として置いた。
関心はあるが真面目すぎるきらいを避けたいという人のための選択肢。正直、何を書いても良かったのだが、僕が釣り欲が性欲に近いものだと考えるのでわかりやすくそうした。この選択肢によって本来ならアンケートに含まれない層を取り入れる狙いがある。

なぜならこういう「固い話」がそういう話を出来る人ためだけのものであっていけないと僕は思っているからだ。
この話ができる人とできない人の間に溝を作りたくないという意図である。
仮に、この選択肢によって反発を感じる人がアンケートに参加しなかったとしても、その人は「真面目に選択したいけれど、そんな気がうせた」のなら、実はその時点で意見をもっているので何ら問題ない。重要なのはアンケートに答えることではなく「関心のない人が関心を持つこと」である。

そこまで言ったところで、結果の分析をしたい。

@61% A24% B7% C 8%
投票数自体が少ないので偏りもあるかとは思うが、直接頂いたコメントを見ても全体では想像以上に@の立場が多く、論理的に考えられているのかなと言ったところ。これは自分のフォロワーやそのフォロワーがやや高年齢化しているからでもあるかなとは思う。

とはいえ、Aやめるべきの声も少なくない。
他人がしていることに関心を寄せていることは確かで、夜釣りをする行為に眉を顰めている。
過去に様々なトラブルがあったが故に心配になるのも理解できるけれど…

BとCを同じ選択肢としてみるならそれは15%にも及ぶので、この問題が簡単に答えの出しにくいものだととらえている人がその程度いる、ということではある。

先にも書いたように、このアンケートは「ブラックバス釣りの夜釣りに対しての感情面での意識調査」ということが本質である。
そう考えるとABC合わせた39%、3人に1人より多い人が、判断を感情面に揺さぶられているのかなということも見えてくる。
当然ながら釣りという趣味は感情にて楽しむものなのだが、僕としては「釣り」と「規則やモラル」は切り分けて考えてもらいたいと思っている。
これを混同するから、釣り人同士のトラブルが絶えないのではないか。

―――

ここで、「夜釣りをやめてほしい」という感情について書きたい。
なぜなら、それは僕もわからないではないからだ。

例えば人が夜に釣りをするのは、家庭や事情によってそれしか選択できない人がいるのは確かだろう。
もし、そういう「個人の事情」を理解せずにいるのはまったくもってお角違いだと思うが、わざとマナーやモラルを見て見ぬふりをして夜の「独壇場の釣り」をする人がいたとしたら、それは「ずるい」と感じると思う。
しかもその結果にその釣り場が荒れて禁止になったら目もあてられないし、実際にその様なことになった釣り場が多く存在する。

かく言う僕もブラックバス釣りの将来を考えるとその感情に蓋を出来なくなることがあるが、ここで言いたいのはあくまで「マナーとモラル」を守れるかどうかで、他人の趣味に口出しをする際にもマナーやモラルを持たないことは同じように問題だと思う。
Aの「やめるべき」を選んだ人に言いたいことがあるとしたら、やめるべきと言う相手が自分と同じ人間だってことはあきらめずに考えて欲しい。
仮に相手の考え方が幼稚だったり、または自分勝手な振る舞いをしていたとしても。

別の例を出すとしよう。
ゴミ問題に際して「ゴミを釣り場に捨てる奴は釣りをする資格なし!」という話がある。
一見ごもっともの様に聞こえるが、残念ながらこれはゴミを捨てる人には響かないだろう。仮に相手を目の前にしてそれを言ったとしても相手との溝を深めるばかりなのは想像に難くない。
その相手にせめて願うとしたら、ゴミを捨てない矜持という価値観が大きな魚を釣ることが喜びである価値観と同列に並ぶことぐらい。その願いをかなえようとしても、溝を作り、分断を広げるばかりでは かないっこないのではないだろうか。

そもそも、その「やめるべき」という言い方を選択肢に加えたのは僕で全く申し訳ないのだが、それでも僕は「やめるべき」という言葉を選ぶ人の多さについて心が痛い。

仮に僕がそれを言われる当事者だとしたら、夜釣りだけでなく釣りそのものを辞めてしまうかも知れない。
そこまでの想像力を持つことが正しいことかどうかはわからないが、今僕たちに欠けているのは「想像力」であるのは間違いない。もし、夜釣りをする相手に声をかけるとしても、言い方が変わるかも知れないのだから。

――――

そう、実はその「想像力」が唯一、バス釣りへの未来をつなぐことではないかと僕は思っている。

僕たち釣り人は常に来訪者であって、釣りに行く環境が遠いところであっても近いところであっても、水辺には関わる人たちがいる。それを想像できるかどうかで、行動が決まるのではないかと考えている。

想像力の欠如が招く問題の例としては、近代化以降「新住民」と名のついた問題と根本は全く同じだと僕は考える。

だがしかし、その「想像力」を養うためには一定の教育が必要になるのは間違いなく、それを趣味の領域に持ち込めるかどうかがカギになる。
逆をいえば、日常からそれを養う機会があれば今回のような問題が仮に起きたとしても、そのフォローをしやすいし互いに理解しあえるまでの時間もかからないだろう。

ただ、アンケート結果を見るにその道のりはまだまだかかりそうではあるが、これに至ってはその都度伝えるしかないといったところだろう。それこそ、諦めずにやっていくしかない。

‐‐‐
アンケート中に様々なコメントを頂いたが、その中に「この話は双方がわだかまり無く話合っても正論は出ないと思う。」というものがあった。
そう、このアンケートは見方によれば「推奨派」「反対派」の二極対立に見える。
法的にOKという場合でも、住宅地付近のフィールドであればマナーに準じれば夜釣りをすべきではないということもあるので一概にそうとも言えないだろう。不文律ではあるがその様な場合もある。(これは明文化して伝えるということが追々必要な事例だと考える)
そして、その二極対立として見えてしまうのであれば、それはすぐさまやめるべきではないのか。
同じ釣り人どうしでいがみ合うのは非常にもったいない話だし、言いたいことがあるのならお互いの立場、意見を理解した上できちんとした批判をすべきだ。
謝らせるためだけの批判は傍から見ていてみっともない上に非生産的である。

―――

少し長くなり、論点も様々存在するのでややこしくなってしまったが、僕がまとめとして言いたいのは

釣り人としてよりも「人としてのマナーとモラル」を持つということがこれから必要になってきたのではないか。

ということ。
趣味から人としてのマナーを学ぶ、ということは以前ならば常識であったことだけれど(そのための趣味でもあった)、すっかり今では忘れ去られてしまったようだ。

僕たちがこれからの釣りを楽しめるかどうかは趣味から学ぶことからできるかどうかにかかっているのかも知れない。



posted by 4S at 23:59| Comment(0) | 長文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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